クメール伝統織物研究所とは

【設立趣旨】

 1995年、ユネスコの委託により、カンボジアの伝統的な絹織物の現況調査を担当した森本は、20数年にも及んだカンボジア内戦がさまざまな断絶をもたらしていることに気づいた。優れた技術を持った織り手たちの多くは、戦禍と混乱のうちに亡くなり、かろうじて生き残った者たちも高齢化していた。200種類以上もあったとされる伝統の絣のパターンも、その記憶の担い手とともに失われつつある。かつては村のなかで調達できた生糸も染め材も今はない。彼女たちが再び織り機の前に座るまでには、さまざまな困難が待ち受けているのが見て取れた。これら代々継承されてきた染織技術と知恵――絣柄のデザインから、道具の数々とその使い方、そして大切に扱われてきた絣布そのものまで――、伝統織物にかかわるあらゆるものを収集・記録し、次の世代に残す必要がある。同時に、その復興と再生を促し、伝統の活性化を図ることが切に望まれた。こうした現状に対し、カンボジアの伝統的絹織物の復興と調査研究、その活性化を推進するために、1996年1月、IKTT(クメール伝統織物研究所)は森本喜久男によって設立された。

【現在の取り組みについて】

 設立から20年、伝統織物の復興に端を発したIKTTの活動は、その担い手である農村部の貧困家庭の女性たちの自立・生活支援へと拡大。さらには、織物素材(養蚕、綿花、自然染料など)を自給し、担い手たちの暮らしを支える場としての「森」の再生と、その森と暮らしていくための「知恵」を甦らせ、活用していく「新しい村」づくりへと発展した。これら一連のプロジェクトを、「伝統の森・再生計画」と呼ぶ。

 森を育て、カンボジアの人びとの間に息づいていた自然とともに生きる「知恵」を復活させ、四半世紀に及ぶ内戦とその後の混乱による断絶を超えて、伝統的な暮らしに基づく生活技術を甦らせる取り組みは、単なる自然環境復元の枠を超え、貧困層の農民たちへの自立支援、さらには伝統的な工芸・文化の活性化として有機的に結びついている。

「伝統」を過去のものとせず、自然環境と生活に立脚した「生きた知恵」として呼び覚まし、新たな伝統と文化を育てていこうとするIKTTのスタンスは、カンボジアのみならず日本および他のアジアの国々における、次なる時代に向けての指針として評価されつつある。

 伝統織物の復興に始まり、その担い手の育成、そして生活環境の再生へと拡大してきたIKTTの活動は、さまざまな困難を乗り越え、織物制作における次なるステージへと踏み出そうとしている。それは、染織技術の向上のみならず、カンボジアの人びとにとっての文化的な誇りとアイデンティティの再生をも見据えた、新たな挑戦である。

[以上、2016年1月作成]

黄金のシルク

 カンボジアの生糸は本当に綺麗な黄色、それが日に当たると「ゴールデンシルク」と呼んでもおかしくないほどに美しい。僕たちはカンボジアで伝統的に飼育されてきた熱帯種の「カンボウジュ」と呼ばれる黄色の糸を吐く蚕を飼育しています。日本や中国の白い生糸に見慣れてきた私たちにとって、この生糸は驚きでもあります。極端に品種改良が進んでしまった白い生糸に比べ、カンボウジュの生糸はシルク本来の良さを持っています。

 IKTTは設立以来、カンボジアで黄金のシルクを復活させる努力をしてきました。環境に適合する品種改良された蚕ではなく、元々その土地にあった蚕が生み出す丈夫でしなやかな糸を使うことで、品質の高い布を織ることができます。

 IKTTのシルクは、機械ではなく繭から手で糸を引いています。その違いは布に触れていただければわかる。引き手の温もりが糸に込められています。温もりがあり、身体にまとうことのできる布。それが、IKTTの布です。

自然染色

 一般的に自然染料は「色が薄い。落ちやすい。」という人がいるけれども、僕らは自然の染色の技術として非常に完成された技術を持っています。そして完成度が高い。僕らが染めた色は落ちません。僕はもともと染屋だから、色落ちするものを僕は染めたとは言わない。そして僕らが染めた色は洗っても落ちない。僕らが使っている黄金のシルクの風合いとともに、何度か洗ってやると色がさらに生きてきます。5年後に見える色がある、10年後に見える色がある。これがIKTTの布の特徴です。

 全ての植物には色があります。「濃い色が出る植物」や「染めても色が落ちてしまう植物」があるけれども、僕らはその中でも堅牢度が高くなおかつ集めやすいものを使って染めています。例えば、染料植物の有名なもので「サフラン」がありますが、1g数千円で取引されています。そんな高価な染料を使ってTシャツを染めたら、値段的に商品にできない。だから材料が集めやすくて堅牢度が高い素材を選びます。僕も20〜30年前にいろんな染め材を探していた時期があって、例えば、今まで人が染めたことの無いような素材に挑戦していました。僕にとっては手に入りやすいバナナの葉っぱだとか、ココナツの殻だとか、アーモンドの葉っぱとか。そういうものを見つけて、現在もIKTTで染め材として使っています。それは伝統的に使われてきた染め材ではなく、ある意味では「現代のカンボジア」という土地で見つけた染め材だと、僕は思っています。

カンボジア伝統絹絣の柄

 カンボジアの絣の伝統的な柄は、200〜300種類以上あると言われています。その中で僕たちが選んでいる柄というのはお客様にいいねと言っていただける柄を選んで織っています。伝統というのは「ただそれを守る。再現する。」ということではなくて、僕らは「新しい伝統を作る」という立場に立っています。そういう意味では、今の時代の中で好まれる柄を大切にしています。

 需要があるからモノが作られる。オンデマンド。アンコール時代、ここに素晴らしい王朝があって、その中で人々がカンボジア伝統の絹絣を愛でる需要があったんだろうと思います。僕らが今やっている伝統の柄は、すでにアンコール時代にあったものだと理解していて、それが脈々と受け継がれて現代に至っているというふうに思っています。だから僕たちが今やっている柄はアンコール時代に流行っていた柄をやっているのかもしれません。

 僕らの基本は全て手作り。自然のものだけで布を作ります。布を触ってもらったら違いを感じてもらえる。現代にそういった布の需要があるから、僕たちはこれからもカンボジアで「新しい伝統を作る」立場にあると理解し、カンボジアの素晴らしい伝統とともにIKTTオリジナルの布を作り続けます。

伝統の森とは

  • 「伝統の森」とは?
  • IKTT(クメール伝統織物研究所)の森本さんが、現地で取り組んでいるプロジェクト「伝統の森・再生計画」のプロジェクトサイトを指します。

 

  • どこにあるの?
  • シエムリアップ州アンコールトム郡のピアックスナエンと呼ばれる地域にあります。シエムリアップの町からは、アンコールトムを抜けて北へ車でおよそ1時間ほど、バンテアイスレイやプノムクーレンに向かう途中に位置します。【地図はこちら

 

  • どんなところ?
  • 2010年7月現在、森本さんをはじめ、IKTTのスタッフたちとその家族約200人が暮らしています。

 

  • カンボジアの伝統織物の制作が行なわれている工芸村エリアでは、養蚕に始まり、糸繰り、括り、染色などの工程を経て、一枚の絹織物に織り上げられるまでの、さまざまな作業が行なわれています。織り上がった絣布などを展示・販売するショップ&ギャラリー、訪問者が宿泊するゲストハウスも、この工芸村エリアにあります。「伝統の森」のうち、ほぼ半分のエリアでは「森」の再生を促しています。残りの半分が開墾され、桑畑、綿花畑、藍畑そして果樹園と野菜畑に、また工芸村や居住地区、学校になっています。

 

  • いつ始まったの?
  • 2002年7月に、まず約5ヘクタールの土地を取得しました。これが、「伝統の森・再生計画」の第一歩でした。翌2003年の2月からは、カンポット州タコー村の若者たちが住み込み、開墾に着手します。一方で、桑や染め材となる植物の苗を準備して育て始めました。こうして、シエムリアップの工房での織物づくりと並行して、「伝統の森」での森の再生と、新しい村づくりが始まったのです。荒れ地をひらき、道をつくり、少しづつ開墾エリアを広げ、そこに桑や藍の苗を植え、野菜畑をつくり、家を建てたりと、すべては手づくりです。その後、何度かの土地の拡張を経て、現在「伝統の森」は、約23ヘクタールの規模にまで広がりました。

 

  • なぜ森を育て、村までつくるの?
  • カンボジアの伝統織物の復興に携わるうちに森本さんは、織物を再生するだけではなく、織り手を育て、さらには織り手である村びとたちが暮らす自然環境までを再生しなければ、伝統織物を再生したことにはならない、と考えるようになりました。かつてカンボジアの村には、手の届くところに染め織りの素材があり、村の外から何も持ち込まなくても、すばらしい織物が生み出せる自然と環境がありました。そうした自然環境(=森)の再生と、その自然の恵みを上手に生かすカンボジアの人びとの「暮らし」と「知恵」の復活、それらすべてを統合したかたちで「伝統織物の復興」を進めようというのが、森本さんが「伝統の森・再生計画」と名づけたプロジェクトなのです。

[以上、2010年7月作成]